安倍首相の被爆75周年あいさつに「広島と長崎で“ほぼ同じ”」という指摘。一体何の問題が??

投稿者: | 2020年8月11日

8月6日と9日に広島市、長崎市の両被爆地でそれぞれ開かれた平和式典での安倍晋三首相のあいさつの文面が酷似しているとして、被爆者から「何のために被爆地まで来たのか。ばかにしている」と怒りの声が上がった。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6367927

というネットの記事を見かけました。

被爆者の方が「ばかにされた」と感じて怒りの声をあげた理由に驚き。
あ、あいさつの文面が酷似している……??
一体どういうことだってばよ……(;^ω^)

官邸のホームページに掲載された双方の全文を比較すると、両市の原爆投下からの復興を称賛した一文や、「広島」「長崎」といった地名などは異なるが、その他は段落数や構成、表現が同じ。結びの段落の言葉も「永遠の平和が祈られ続けている」「核兵器のない世界と恒久平和の実現に向けて力を尽くす」などと完全一致している。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6367927

地名を変えただけでほぼ使いまわしだそうですが、使いまわしでいいじゃないですか?
むしろ内容が目に見えて異なっていた場合のほうが問題ですよね。

ネットでの声

元記事のコメント欄には以下のようなコメントがありました。

2つの被爆地のあいさつなんだから、同じようになるのは当たり前じゃね?
どっちかに肩入れも思い入れもできんだろ。

いい加減、揚げ足取り記事は止めなよ。確かに同じ内容かもしれないが、そんなことはどうでも良い。

一見、「首相はひどい。」いう感じを与える記事だが、どうでもいいことにけちをつけた低級の記事にしか思えない。

逆に同じ悲惨な目に合っているなら、挨拶内容が同じでいいと思います。そもそも、挨拶内容を何のために、どのような動機でし比較したのでしょうか。あいさつがことなっていたら、どのような反応があったのでしょうか?

これまでの総理大臣だってほとんど同じ文面でしょう。
なぜマスコミはこのようなタイトルで誘導するのか。

筆者としても↑のコメントを書いた方たちと同意見です。

直接その土地を訪れ、歴史を振り返って言葉を述べる行為そのものに意義があるのであって挨拶の言葉の違いなんて、ポケモン赤と緑くらいの差で良いと思います。

マスコミの印象操作に踊らされないようにしたいところです。