学生時代に障がい者に対して数々の加害行為を繰り返した小山田圭吾さんに批判殺到、謝罪へ・・・

投稿者: | 2021年7月16日

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ヤフーニュースをはじめ色々なニュースサイトでかなり盛り上がっています。
ソロ音楽ユニット「Cornelius(コーネリアス)」の小山田圭吾(おやまだけいご)さんがオリンピック・パラリンピックの楽曲を担当することになった件で、小山田さんが過去に音楽雑誌に暴露した同級生へのいじめ行為が蒸し返されているようです。

開会式と閉会式ともにショーディレクターを小林賢太郎、音楽監督をFPMの田中知之が務め、開会式は「コーネリアス」小山田圭吾(52)らが楽曲を担当することになった。

 開会式のコンセプトは「United by Emotion」。世界中の人々への感謝や称賛、未来への希望を感じる時間を作りたい、という願いが込められているという。

 そんななか、一部ネット上では小山田の名前に懸念の声が上がっている。音楽雑誌「ロッキング・オン・ジャパン」1994年1月号で、小山田が同級生いじめを自慢話のように告白していたことが蒸し返されているのだ。

「小学校時代の話で、障害者の同級生を跳び箱の中に閉じ込めたり、マットレスでぐるぐる巻きにしてみたり…なかなかハードな内容でした。ただ、批判を集めたのは、そうしたいじめ話を得意げに話す小山田の態度でした。ネット上では『クズ』批判が巻き起こりました」(音楽関係者)https://news.yahoo.co.jp/articles/0f5feab877f736a5ef437c2cd5a1bc35befb02ed

小山田圭吾さんの楽曲

みんな一度は聴いたことがありそうなのはこちらの曲。
1990年の曲ですが、どれだけ時が経っても色褪せることのない名曲です。

30年以上も昔の話だが・・・

小山田さんが雑誌で語っているのは小学~高校までの学生時代の話なので、2021年から遡ることおよそ30年以上も前の話です。
筆者はまったくそんな話は存じていませんでした。
なのでそんな過去の過ちを掘り返して責め立てるようなことせんでも……と最初は思ったのですが、内容のインパクトがなかなか強烈でした。

いじめの対象が障がい者、まさにゲスの極み

健常者同士ならともかく(それでもNGだが)、いじめの中でも最も卑劣な社会的弱者を狙った犯行。

本来であれば逆に助けてあげるべき人たちに危害を加えるとは一体どういうことなのか。
子供の頃はね、茶化す程度ならわかるけれどね・・・。

インターネット上のバッシングの中にはあることないこと好き勝手想像や妄想で書いて叩いて・・・ってこともあり得るのですが、本件はご本人が雑誌のインタビュー記事で日本中に向けて自白しているので、十分すぎる根拠がありますね。

そしてそのいじめの内容がまた辛辣・・・具体的には以下のようなことをしていたようです。

全裸で簀巻き

体育用のマットや布団でふざけてやりがちな行為ですが、窒息死してしまった事件が起こったこともある危険な行為。

1993年(平成5年)1月13日夕方、新庄市立明倫中学校1年生の男子生徒が同中学校の体育館用具室内で遺体となって発見された。生徒の遺体は巻かれて縦に置かれた体育用マットの中に逆さの状態で入っており、死因は窒息死であった。山形県警察は傷害および監禁致死の容疑で、死亡した生徒をいじめていた当時14歳の上級生3人を逮捕、当時13歳の同級生4人を補導した。

Wikipedia – 山形マット死事件

排泄物を食べさせる

いわゆるウ〇コを食べさせる。
いや、信じられない。
フィクションでもなかなかありません。
事実は小説よりも奇なり。

自慰行為を強制

アダルトビデオの見過ぎでしょうか。
全体的にセンスが悪い。
どれだけ時が経っても色褪せることのない不快感ですね、これは。
ジャイアンとスネ夫によるのび太に対するいじめが「ルールを守ったいじめ(なんじゃそりゃ)」とすら思えますね。

小山田圭吾さんは実行犯ではなく企画者

「僕が直接やるんじゃないんだよ。僕はアイディアを提供するだけで(笑)」

才能ある人は常人には無い発想がありますから、これはある意味納得です。
まあ、何が面白いのかはさっぱりわかりませんが。

しかし、1994年代の笑いのセンスってこんなんだったか・・・ロッキンオンジャパン。
筆者も当時好きなアーティストの特集のときなど何度か買って読んでいたんですが、よくこんなゲスな内容を誌面に載せられたな(;^ω^)
現代であればこんな内容をノリノリで面白がって記事にするインタビュアー、出版社にも批判殺到しそうですね。

ネットを中心に批難殺到

筆者は学生時代いじめられる側の人間で、殴られる蹴られるの暴行が主でしたが、大人になってからも時折フラッシュバックして胃が痛くなったり眠れなくなったりします。
加害者がインタビューで得意気に全国発信してたとなると、どんなに叩かれても同情の余地なしというか、批難殺到するのも頷けます。
1994年の記事の内容に反省や後悔があったなら「昔の話だから水に流そう」とも思えますが、(笑)とかついているし、何の反省もない武勇伝記事でしたしね。

そして謝罪へ

7月15日のお昼頃からニュースサイトに取り上げられはじめ、7月16日の夕方に小山田圭吾さんご本人のTwitterアカウントに謝罪文が掲載されました。

筆者は今回の記事をすべて書き終わった後に小山田圭吾さんの謝罪文に目を通したのですが、しっかりした文章でした。
個人的には、インタビュー記事に対する不快感というのは筆者も含めてそれを見た側の勝手な感想なので、そんなものに対して謝罪文など掲載する必要はないと思いますが、オリンピックに関わるため体裁もあるのでしょう。

被害者は一生覚えているでしょうが、世間からは早く忘れ去られたほうが良いと思います。